全盲の声優としての発信で分かった~実力で勝ち続ける以外のやり方

みなさんこんにちは。
@noy_0207
です。

今まで、このブログでは私が日々の経験を通して得た皆さんにも少し役立ちそうな経験を発信していました。

しかし、私の持ち味と言いますか、私が発信することの良さは、ノウハウというよりかはそのときの感情や考えたことを言語化してお届けすることだと考えました。
それはtwitterをやっていてっよく分かったことです。

ということで、ブログはtwitterの長文バージョンとして、やっていこうかなと。
そっちのほうが書く側としても気が楽だしw

それでは、今回のテーマは、「実力で勝ちたい」というプライドが邪魔をしていた話です。

視覚障害が注目されることへの違和感

興味と賞賛の声であふれた養成所時代

養成所に通っていたころから、視覚障害を持って声優を目指そうというのは少し異質な存在でした。
それは良くも悪くも前例がなく、周りの生徒や講師も興味を持っていたからです。

例えば、それは視覚障害があって声優という世界を目指そうと思ったことそのものがすごいということであったり、
点字で台本を読む感じがすごいということであったり、
それだけで興味や賞賛の的になっていました。

「声優を目指す」という物差しで考えたら意味がない

しかし、そのときに思ったのは、単純に視覚障害を持って養成所に通うことが声優を目指すうえでは何の意味もないということでした。

なぜかというと、視覚障害であるかどうか、点字を読んでいるかどうかは、声優に必要な能力としては何も関係ないからです。

点字で台本を読んでいても活舌が悪ければ意味がないし、
視覚障害を持つ声優として興味をひいても演技がめちゃくちゃであれば声優としては使えない存在になります。

そう思っていたからこそ、視覚障害を持って頑張っていることがすごいと言われることには違和感がありました。

それは事務所に入っも同じで、2019年の夏ぐらいまでは持ち続けていた思いです。

興味を引く「視覚障害」の確立

2020年の私は「全盲の声優~不可能を可能にする男」というキャッチコピーの元で活動をしています。

私はあることに気づきました。
「視覚障害は単体でも生かせない。声優というブランドならライバルが多い。ならば、視覚障害を持つ声優として自分を売り込んでいこう」

一見すると、違和感があることで活動をしつづけているように見えます。

が、そこは大きく使い分けています。
声優としては、声の演技で真っ向勝負。それはライバルが多い戦場での戦いです。
それと同時に、視覚障害による困難を解決しながら戦い続ける声優として、挑戦者というイメージも加えることにしました。

そうすることによって、私には二つのイメージがつくわけです。

なぜデビュー当初は「全盲の声優」を押し出さなかったのか

こうして明確にしていくと、なぜ養成所時代に周りからの声に違和感があって、結局は視覚障害もブランドに加えることになったのか、一つの答えが見えてきました。

「障害者」というブランドはイメージを狂わせる

私は自分が今ほどの演技力を備えているからこそ、視覚障害とセットで押し出して活動する良さがあると思っています。

それは、例えばメディアなどの公の場所で「全盲の声優」というふうに紹介されると、本人のレベルがそこまで高くなくても、「頑張る障害者」というイメージだけで注目されてしまうからです。

最初はそれで良いかもしれませんが、実力が伴わない注目は本人のプレイヤーとしての命を短くする可能性が大いにあります。

その点で、技術と興味をミックスしたこのタイミングで私は視覚障害も含めて押し出していきたいと考えました。

実力で勝ち続けることだけが政界ではない

つまりはそういうことです。

私は、今でもオーディションでは連敗続きで打率は相当低いと思います。

それでも、SNSや知り合い尾通じてお仕事の話をいただけるようになりました。それはデビューから時間が経てば経つほど、件数が増えています。

本当にありがとうございます。

実力で勝てることは本当に立派なことですが、その道1本ではありません。

私も、まだまだ道なき道を歩き続け、つねに挑戦者の心で挑み続けていきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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